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人間ウォッチング

2011.07.27

タジキスタン人とキルギス人。隣り合っている国なのに顔も性格も全然違う。
タジキスタン人はどちらかと言うとアラブ系。濃い顔つき。

    

   
あ、濃すぎた?

キルギス人はモンゴロイド、モンゴル系です↓↓

    

    
最初タジキスタンを旅していて、自慢ではないけどよくモテた。
声を掛けられる程度ではなく、奴ら相当触ってくる。
触られる度に
「もうやめて!そういうの嫌いっ!!(英語で)」
と、マジ切れしてもタジキスタン人はヘラヘラ笑っている。ニヤニヤ…
嫌がってる女を見て楽しんでる様は変質者のよう。。。

そして国境を越えてキルギスに入った途端、ぱったりモテなくなった。
キルギス人に人気なし。
何故だ…あまりに寂しくて、嫌がっていたタジキスタン人のたらし連中が懐かしく思える。

この旅で何台車をチャーターし、乗り合いバスに乗って来ただろう。
ドライバーの男たちを中心に思い返してみた。

【タジキスタン人】
音楽ガンガン
よくしゃべる
飲酒もお構いなし
ちょっかい出す、女好き?
お調子者
情に厚い

 【キルギス人】
もの静か
控えめ
優しい
自然派嗜好

    
まずタジキスタン人。
運転中は音楽をガンガンかける。ボリューム大。
何度も(勝手に)ボリューム下げて、ドライバーがまた上げて、見てないうちにこっそり下げて…その繰り返し。

そして四六時中しゃべっている。ベラベラベラベラ……
息してんの?と思うほど切れ間なくしゃべっている。
何の話をしているのか。内容が気になって仕方ない。

飲酒もお構いなし。
パミール高原の標高4,000mを越える峠で、ドライバーは車を停めた。
「お前、○○要る?」
何かさっぱり分からない。しかしどうやら飲み物要るか?みたいな感じだ。
とりあえずうなずいておこう。
するとドライバーはトランクを空け、山のように積んでいたビールを持って来た。
ビールだったのかー。ビール飲めんし。
けど、せっかくもらったので口をつける。まずい…

    

   
というか、ドライバーも飲み始めた。
ダートロードの峠越えというのに飲酒でしかも片手運転。
きっと誰もいないここだからこそ飲み始めたのでしょう(町では出来ない)。

   

    
ごめん、やっぱ飲めないや、と言うと、たまたま通りかかったドライバーの友人にあげる。
奴も飲酒運転。

   

    
このドライバー、憎めない奴で、運転しながら日中からお酒なんて飲むからお昼ご飯食べては寝て、夕方も寝て、夜も早くから眠そう。
起きてる時はベラベラ ヘラヘラしゃべる。

タジキスタン人は皆と言って良いほど、人をもてなすのが文化のようだ。
お茶を振る舞い、食べ物を出し、客人を大切にする。
人々の挨拶を見ていると握手し抱き合い、頬にキスし、お礼を言うと手を胸に当てて「それが私の喜び」とでも言うように敬意を示す。
様々なタジキスタン人の家に泊まったけど、皆どんな時も笑顔で、とにかく家族のように振舞ってくれた。
また帰って来たい、そう思える家ばかりだった。

    
そしてキルギス人。
温厚で優しい。その顔つきからもにじみ出ている。
私がキルギスで出会ったドライバーたちは一人として車内で音楽をかけなかった。
たまたまだろうけど。大音量の音楽に疲れていただけにこれは助かった。
口数も少ない。もちろん言葉がお互い分からないからだけど、キルギス人同士でもそこまでベラベラしゃべってはいない。
話し方も穏やか。タジキスタン人はマシンガンのようだったけど。

控えめで心配りが日本人のようだった。
それがやりやすい。
飛び出て嫌なこともなければ、びっくりするほど良い面を見たわけでもない。って感じ。

油ぎとぎとのレストランでの食事は大量に残すのに、遊牧民のテントで食べる手造りの乳製品は何杯もお替りする。
元々が遊牧民族なのだろう。
羊などの家畜から作られた食品や、昔から伝統的に食べられているものを好んでいるようだった。

    

↑↑母牛の乳から作られるフレッシュ・クリーム

モンゴルでも私的に苦労した馬乳酒。キルギスでも飲みました(飲まされました)。
そこでキルギス人は
「キルギスの馬乳酒はモンゴルのと違って水がいいから美味しい」
と誇らしげに言っていた。しかしその味は…モンゴルのより獣臭く、マズイ(ごめんなさい)。
ドライバーも今時風の若者も、ぐびぐび飲んでいる。皆大好きなのね。

    
狭い地域で国境を隔てただけでこうも人種・文化が違うものかと、面白かったです。
どちらかと言うと…タジキスタン人の方が思い出深いかな。インパクトあっただけに。

     

タジキスタンのあったか家族

2011.07.26

タジキスタン入国の日。
早朝4時に起きタシュケント(ウズベキスタン)のバスターミナルへ。国境に行きたいがあいにく直通のバスはなく、どうやったら行けるかあっちへ行きこっちへ行き、質問して回る。
タクシーに乗ってバスに乗って、さらにバスを乗り換え、乗り合いタクシーに乗り換え…
国境に着いて群がる人の中をずいずいと割り込んでセキュリティーチェック、申告、出国手続き。やっとウズベキスタン出国。
バックパックとカメラバックを体の前後に担いで炎天下タジキスタンに向けて歩く(歩くしか手段は無い)。

     

     
国境のゲートをくぐりタジキスタンの入国カードを記入し、再び汗をダラダラかきながら次の建物へ。
いっきに一つの建物で済ませてほしいものだ。。。
思い出すだけでげっそりする。国境越えは体力が要る。

そんなお疲れモードの私。
タジキスタン入国の最後の建物で、とある政府職員さんに出会いました。
さっき出勤して来ました風で私に所持金などの形式的な質問をしたかと思うと、国境から一番近い町フジャンドまでタクシーで行くから一緒に行こう、とのこと。
フジャンドまではタクシーでUS$13だよ。そうか、こやつ私に便乗するつもりだな。もしくはシェアか?
などと心の狭いことを考えていたらぜーんぶ出してくれた。

    

    
「お腹すいてる?朝食食べない?」
と、レストランに連れて行かれる。
シャシリクという羊肉の串焼き、スープ、サラダ、ずらりと並べられ、早朝からがっつりと食べる。これ総額いくらなんだとびびっていると、ここも全部出してくれた。

    

    
「これからうちに来ない?妻や子供たちがいる家に招待するよ」
かたことの英語で、辞書や会話帳を見ながら一生懸命話してくれた。
家族がいるということで安心して話に乗る。

政府職員さんの名前はザファー。31歳。
もしかしてお金持ちなのかもと思っていたけど、家は町外れの古いアパートで、決して大きくもなく、普通の暮らしのようだ。
家に着くと超美人の奥さんニゴーラ(26歳)と超かわいい子供たちが出迎えてくれた。
テーブルいっぱいに茶菓子を並べもてなしてくれる。

    

末っ子オイシャ

    

長女タマノ

ニゴーラもザファーと同じく英語がほんの少し話せる。その後分かったことだけど、タジキスタンでかたことでも英語がしゃべれる人はかなり珍しい。
彼女も一生懸命会話帳を見ながら話かけてくれた。

    

    
ニゴーラは次から次へと手料理を出してくれた。どれもめちゃくちゃ美味しい。
早起きだったため眠くなると、広い居間を私だけのために空けて寝かしてくれた。きっとその間自分たちは残りの狭い部屋に居たのだろう…

目が覚めるといつの間にか居間のテーブルにはアメリカンチェリー、いちじく、ピーチと、果物がずらりと並べられていた。
私が起きたことに気付いたニゴーラは温かいお茶を入れ直してくれる。
何という気の使いよう。

    

     
夕方、バザール(市)を見たいという私にニゴーラは付きっきりで案内してくれた。
すべてタクシーで。
私は何度も両替に行きたいと言ったのだけど、その必要は無いとザファーに断られていた。
「お客さんなんだからこの町で君がお金を使う必要はない」と。
ザファーから言われていたのか、ニゴーラもいっさい私にお金を使わせてくれない。
タジキスタンに入国したことだし地図が欲しいなと思っていたら、ニゴーラが買ってくれる。
「他に欲しいものは?」と聞かれ、これはまずいと「何もないよ」と答える。

温かいシャワー、食べきれない夕食、私にはソファにベットを作ってくれて自分たちは床に寝る。
こんなにされていいのか。
感動しながら一日を終える。

   
翌朝、フジャンドから首都ドゥシャンベへ移動の日。
朝から豪華な食事を作ってくれたニゴーラと泣く泣く別れる。
会話帳を見ながら
「また会えるのを楽しみにしています。またここに来てください」
そう言うと、笑顔で見送ってくれた。

ザファーに連れられタクシーで長距離バスターミナルへ。
ドゥシャンベ行きの車を探し助手席に私を乗せると
「ドライバーにはもうお金を払ってあるから、君は何も払わなくていいからね」
と一言。
まじで!?
ドゥシャンベまでは遠い。6時間以上はかかる。その運賃120ソモニ(約2,000円)をすでに隠れて払ってくれていたのだ。

後々聞いた話によるとタジキスタンの政府職員の月収は5,000円(ほんまかいな)。
タジキスタンは移動費が高いことで有名。
月収の半分弱のお金を払ってくれた?ザファーが高級取りだとしても120ソモニは相当大きな額のはず。
よく食事などをご馳走してくれる人はいるけど、次の町までの移動費を出してくれた人はいない。

     

     
ザファーは私が無事ドゥシャンベに着けるか、ドライバーに携帯番号を聞き、おおよその時間に連絡をくれた。
「問題は無い?大丈夫?」
電話での英語は苦手そうで、そんなに多くはしゃべらなかったけどその気持ちがうれしかった。

タジキスタン一日目でこんなにいい人たちに出会えて本当に幸せだった。
嫌な人にも何人か会ったけど、この家族のことを思うとタジキスタンはなんて素晴らしい所なんだろうと思える。

「無事日本に帰って来たよ」
って電話しようかな。

     

ロシアジープには二度と乗らない

2011.07.24

中央アジアの写真をパソコンに取り込んでいたら、たまたまこの写真が目に付いた。

     

     
そうそう、このジープ、苦しかったよなぁ~。

タジキスタンのパミール高原からキルギスへの国境越えに選んだロシア製ジープ。
本当は日本車の4駆が良かったのだけど、数十ドル、いや下手したら100ドル以上は高くなってしまうので仕方なくこいつをチャーターしたわけです。
しかし、もう二度と、いくら安くてもロシアジープには乗らないっ!!

まず日中は車内が35℃以上を越えるというのに小さな三角形の窓があるだけ(もちろんクーラーなんてものはない)。
壊れていて4つの窓のうち2つしか開かない。
開いても風をさえぎるように開くため全然涼しくない、悪路で車体が揺れ数十秒で勝手に閉まる。。。
もうちょっとどうにかならなかったのか、という造り。

そして、ガソリン臭い。
臭いから換気したくても窓から風が入ってこない。
暑さと臭さとあり得ない揺れに苦しむ。日本車だったらこの悪路でもここまで揺れないだろう。
内蔵、脳みそがシャッフルされる。頭が痛い。
標高は4,600mを越えていたけど、絶対高度のせいじゃない。
私だけではなく、ドライバーもげっそりお疲れモード。

その上エンジンが熱くなるので数km走っては止まり、川の水をエンジンにかけクールダウン。
「さあ水を飲め。飲んでもう少しがんばってくれ」
と言わんばかりにドライバーは水をバシャバシャかける。
異常なほど熱を発するエンジン、ギアは壊れそうな音を立て、山道ではスピードも出ない。トラック並み。

実はこのロシア製ジープ、たったの4,000kmしか走っていない新し目の車。それでここまでボロいのが恐ろしい。
今回の旅では30万km以上走っている日本車にも何度となく乗ったけど、そっちの方が遥かにマシだった。
日本車ってすごい、とつくづく。

これからはがんばって(働いて)極力日本車に乗ろう。。。

     

チベットを振り返り

2011.07.18

ただいま!帰国しています。
帰国して早々急ぎの仕事をしています。
内容はまだ秘密♪ですが、とても名誉なお仕事です。

今私のデスク回りにはチベット、ラダック、ブータン、ネパールのガイドブックが広げられ、過去10年近くの旅日記兼取材のノートが散乱しています。
すべてチベットに関してです。
もちろん旅には勉強をして出掛け、個々のことを理解して見ていたつもりでした。
でもこうしてじっくり振り返ってみると、案外抜け落ちていたこともあるもので。
仏像の名前とか、それが何の目的のためなのか、などなど。

改めて勉強するのも楽しいです。
撮った写真が、こうしてお仕事をさせてもらえる度に確実なものになっていく気がして。

8月中旬にはお知らせします。
お楽しみに~☆

    

最高の

2011.07.15

ただいま再びキルギスの首都ビシュケクに戻って来ました。
撮影はこれをもって終了。あとはカザフスタンに入国して帰国となります。余裕をもって出発しますが、スムーズに国境を超え、空港まで辿りつけますように。

お疲れ様、私。ということで、この前ビシュケクで泊まっていたさくらゲストハウスより、だいぶお高めのホテルにいます。
ここらはWi-Fiよく繋がるなぁ。

ところで、最後にキルギスで私が行きたかったエリアですが、ソン・キョルという湖とそれより南部の地域でした。
ソン・キョルには旅行者も来ると聞いていましたが、広い湖一帯に数人程度で、キルギスで有名なイシク・クル(湖)に比べれば遥かに静かな所だと思いました。
まあイシク・クルには行ってないので何とも言えませんが。

ソン・キョルで泊まったユルト(遊牧民のテント)が大当たりで、ご飯がめちゃくちゃ美味しかったです。
湖で捕れた鮎のような魚のフライにお手製のしっとりとしたパン、アプリコットジャム、カルマックと呼ばれる母牛から取れた乳のフレッシュクリーム。
牛乳風味で生クリームのような濃厚なクリームをしっとりパンに付けて食べます。
本当に美味しかった。去り難い食事でした。

湖ではいろいろな動物が遊牧されていましたが、特に目をひいたのが馬です。かなりの数の馬がいて、大地を振動させながら群れになってかけて行く姿に感動します。
まだ4歳くらいの子供も大人なしにたずなを引いていました。
もう少し大きい子供になると(6歳くらい?)競馬並の猛スピードで馬に乗っています。自分より何倍も大きな馬なのに匠に乗りこなしている。かっこよくて勇ましくて・・・でも私に手を振る時の仕草や表情は子供でした。

湖では暗くなるまで、翌日は早朝から写真を撮りまくりました。
行ってよかった!

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