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祖父の言葉

2022.08.06

77年前の8月6日、午前8時15分、広島に原子爆弾が投下されました。

私の祖父も、私の父を身ごもった祖母も被爆しました。
原爆の強烈な爆風と熱線で、爆心地から2km以内の建物はほぼ崩壊し焼き尽くされたそうです。

市役所土木課の課長だった祖父は、その時爆心地からわずか1kmほどの場所にある市役所で働いていました。祖父は役所内にある池に飛び込んで助かったのですが、私が小学校4年生の時に亡くなるその時まで唇や首に刺さったガラス片が取れずにずっと残っていました。子供の頃、その膨らみに恐る恐る触れていたのを覚えています。

祖父は平和公園の設計に携わっていました。「あの時はとにかく水が欲しかった、だから平和公園に噴水を作った」そう言っていたことを3年前に知りました。

そして今日新たに、「あなたのおじいちゃんは生き残った8月6日を“第二の誕生日”と言っていた」と母から聞かされました。
原爆についてあまり多くを語らなかった祖父の残した言葉。
私や兄や母の記憶を頼りに毎年増えていきます。

私の子供たちはまだ幼くて原爆について徐々にしか話せていませんが、ママが昔こんなこと言っていたなと思い出せるように、祖父の経験や言葉を残していこうと思います。