A Journey to the Highland

—難所の精彩—

太古の昔、標高5,000mのチャンタン高原は海の底だった。4,000万年前、大陸の衝突で大地が隆起し、海底は押し上げられた。だから、今でもこの高原には無数の塩湖が点在している。 強風が湖面を波だて、氷河のように塩の堆積物を生成する。わずかに生えた低草を求めて遊牧民たちが家畜を放牧していた。極度の乾燥と灼熱の太陽が体から水分を奪っていく。高原というより、まるで砂漠だ。塩湖の水は、そのまま飲料水にできるわけではないが、家畜の命をつなぎ、ひいては人々の暮らしを支えるたいせつな場所なのだ。色のない世界で、その深い青色がひときわ映え ていた。 

「その道を行ってもなにもないぞ。人もいないぞ」チベットの都ラサで言われた。日本の国土の六倍の面積があるチベット高原。チャンタン高原は、その大部分を占めている。そこを横断する道があるのだが、ほとんどの人が近寄らない。「道」と呼べるようなものはない。しかし、人は生き ていた。 
ある遊牧民の一家だった。四方のテントに三世代10人ほどが、身を寄せ合って暮らしていた 。一家の長だという古老が、薄暗いテントの片隅でヒツジの毛を紡いでいた。いくつか質問すると、じっと耳を傾け、二言三言つぶやくように口を開くのだった。テントはヤクの黒い毛で織られているので、太陽の熱を吸収し暖かい。しかし、その織り目はとても粗い。夜間や冬にはどれほどの寒さになるのだろう。一家は外国からの来訪者にほほ笑みを向けながら、ヒツジの糸を紡いだり、バター茶を作ったりして、いつもの作業を淡々とこなしていた。どこまでも、温厚で、つつましい。厳しい自然が、頑丈な体と堅忍な人間性を養ってきたのだろうか。 
道すがらミイラ化 した家畜を何頭も見かけた。冬の積雪で草が食べられずに死んでしまったのだ。キツネなどに食べられたりすることもある。遊牧民にとって家畜一頭の死は大きな打撃だ。彼らは家畜の乳からさまざまな乳製品を作る。肉の一片、血の一滴までむだにしない。ふんは貴重な燃料だ。毛は住居や衣類に利用する。 
家畜自体を売ることもある。ヒツジ一頭だと、日本円で約8,000円、牛は1万円で、ヤクは5万円が相場だ。この 地の土木作業員の日給が400円ほどだから、家畜がどれほど高価で貴重なものかがうかがえる。遊牧民たちは自然の猛威から、自分や家族だけではなく、家 畜も守り抜いていかなければならないのだ。 

人も遊牧民のテントも見かけない時間が続いた。ひたすら車で走っていたら、ヒッチハイクをしている青年と出会った。年は24歳だというが、乾燥によるものだろう、その深く刻まれたシワによって10歳は年上に見える。聞けば、チベット語を習うため、友人の遊牧民のテントに向かっているのだという。7歳が習うレベ ルの授業を受けているらしいが、学べるだけ幸せなのだろう。月謝は450円 だそうだ。しばらくすると、青年は「ここで止め てください」と、なにもないだだっ広い場所で車を降りた。おそらく行き先は、 はるかかなた、家畜の群れが豆粒のように見えるあたりだと思われる。別れぎわ、青年が背中に担いでいた荷物の中身がなんなのかを聞いてみた。「これ?水だよ」彼はなぜそんなことを聞くのかというような、不思議な顔をした。チベット語の教材かなにかだと思っていたが、青年 が持っていたのは、この地で究極に必要なものだけだった。このたったひと言が、この大地で生きることがなにか、ということを雄弁に物語っていた。 

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