A Step Toward the Future

—未来を担う一歩—

凜とした寒さ、青よりもっと深い群青色の空。土は乾燥し、風で砂が巻き上がる。そこは緑の草原とはほど遠いもう一つのモンゴル。国土の最西部、標高3,000mに位置するこの地で、わたしは三年前、カザフ族の鷹匠文化を代々受け継ぐ家族に出会った。両翼長2mを超える巨大なワシを使って狩猟をする技は一家の末子が後継するが、この家族の子どもは、息子クジェックただ一人だった。 「ぼくもお父さんのように鷹匠になるよ。子どもに狩りを教えて、馬も今より増やすんだ」 当時、3歳とは思えない発言でわたしを驚かせたクジェックだったが、彼を見守る大人たちの考えは別だった。 「わたしたちはクジェックの希望を聞いて、本人の自由にさせたい。後継のことで彼の人生を潰したくない」 時代は変わってきている————。自分で生きていけるように、教育も受けさせたい。現在六歳になったクジェックは、学校に行くために親元を離れ、親戚のいる村で暮らす。ほとんどの遊牧民の子どもたちは、6歳から18歳まで、村と草原の二重生活を送っている。

ひさびさの再訪は、親戚の暮らす村から始まった。どんな顔をして飛びついてくるかと思ったが、愛想笑い程度で近寄ってもこない。そればかりか、つねに下を向き、か細い声で、三年前とはまるで別人だった。クジェックは村に来て二日めから泣いていたという。同い年のいとこが、なかなか村の生活になじめない彼を慰めていた。 「だいじょうぶ、大きくなったら遊牧をしながら鷹匠になれるから」 いとこの存在が、クジェックの心の支えだった。家でも学校でも、彼の陰に隠れてばかりだった。 クジェックに笑顔が戻ったのは週末のことだった。車で草原にあるわが家に帰るのだ。窓の外を眺め、草原が見え始めると徐々に顔が上を向き始めた。みるみる元気を取り戻し、大好きなカザフの民謡を口ずさみ始めた。 「生きているうちに歌って踊っていっぱい遊びましょう。人生は一度きり」 家では帰りを待ちわびていた母親と祖母が、クジェックを抱きしめて迎えた。クジェックはすぐさま草原に駆けだし、家畜の背に乗って暴れ回ったり、怖がるいとこを後ろに乗せ、馬を走らせたりした。すっかり本来のお調子者だ。鮮烈な夕陽が山の向こうに消え、日が暮れるまで遊び続けていた。

鷹匠の子は、6歳になると初めて狩りに同行する。クジェックのために、馬やくら、祖母が羊の皮をなめして作った鷹匠の衣装「トン」が用意された。知人が訪ねてくるたびにそれをクジェックに着せお披露目し、お祝い金を彼が手渡しでもらえるよう計らった。 「ぼく大きくなった気がする」 うれしそうに言うクジェック。こうやって幼い子に自信を持たせる。 「遊牧も同じだが、見て覚えるんだ」 たいせつなのは、実際に狩りに連れて行くことだと父は言う。

家に帰って3日めの朝、気温はマイナス15度だった。10月18日。キツネの毛がふさふさと美しくなる秋から冬が狩りの時期だ。トンの下に厚着をさせ、心配そうにクジェックを送り出す、母と祖母。まだあぶみに足が届かない六歳の少年が、ちょこんと馬にまたがり、大男たちの一行に混ざっていた。ふだんは乗馬もお手のもののクジェックだが、狩りは丸一日かかる。そんな長時間、馬に乗ったこともない。 出発。川があれば、馬ごと乗り入れ、広大な大地をひたすら駆けた。ようやく目当ての岩山に到着した頃には、お昼をまわっていた。これからが本番だ。 一行が急斜面に差しかかる。馬の足が、滑り落ちる砂と石に取られる。クジェックは懸命に登っていく。頂上は、強風が吹きすさんでいた。やがて、父の腕に乗ったワシが放たれた。天高く翼を広げ、風に体を任せ漂っていた。だが、呼んでも戻って来ない。 「カーッ! カーッ! カーッ!」 声を張り上げ必死に呼び寄せようとするクジェック。風が強くなるとワシは帰って来なくなることもある。父は馬に乗り、ワシを追って急斜面を大急ぎで下りて行った。クジェックには、その乗馬技術はない。一人頂上に取り残され、恐怖で声を出して泣き始めた。

くすぶっていた曇天から夕陽が差し、辺りを明るくしていた。 一日を終え、帰路についた。家に着くと、母親がトンを脱がせる。 「お父さんすごく強かったよ! ワシが飛んで逃げそうだったから怖くて、ぼくがカーッ! カーッ! カーッ! って呼んだんだよ!」 恐怖を乗り越えた経験は、自信となり、クジェックは高揚感に満たされた。 「獲物はなくても、ワシを持ち馬に乗って、山の中で過ごせるのは幸せだよ」 穏やかな顔をして父が言った。その姿に、村から草原に帰ってくると水を得た魚のように生き生きとする、クジェックの姿が重なった。

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