A Village Doctor’s Commitment

—村医者の天地—

ツェワンが、ピックアップトラックのハンドルを握った。
「最高のビューポイントを見つけたから連れて行ってやる」
車は道なき急斜面を一気に登る。すると、空の色を水面に映したような青い湖が姿を現した。標高四二〇〇mにあるパンゴン・ツォだ。
ツェワンは見晴らしのよい場所に石を積み、その先を見つめていた。チベット仏教徒はこうして聖地や山の頂に石や旗を掲げ、すべての生き物の幸福を祈るのだ。
お茶にしよう――。ツェワンは水筒とコップを地面に置いた。そして、伝統衣装であるゴンチェの懐から取りだしたクッキーをほおばりながら、さりげなく横に生えていた植物に手を伸ばした。
「これはセパットという薬草で、秋になるともっと緑色になって種をつけるんだ。これをとって長くゆがいてクリーム状にして、腰や膝などを痛めたときに塗るんだよ。滋養強壮の薬にもなる」
湖のほとりにはたくさんの薬草が生えている。北の地の植物は寒気に効き、南の植物は熱っぽいときに処方される。たいせつなのは採取するタイミングだという。六六歳になる彼は、村の医者なのだ。
「春は根をとり、夏は花や葉を、秋は種をとるんだ」
枯れた流木も薬に使われることがあるそうだ。あらゆる植物に、なにかしらに用途がある、ということだろうか。

「アムチ」はチベット伝統医学の医師のことで、患者の症状に合わせて薬草から作られる生薬をおもに処方している。ツェワンもアムチの一人で、パンゴン・ツォの湖畔の村に住んでいる。
患者は月に五〇人ほどだという。ちょうど診察に居合わすことができた。ツェワンは両手三本ずつの指を使い、患者の手首の脈を優しく押さえた。脈拍だけではなく、体内に流れる気の巡りも診る。チベット伝統医学では人の体の中には地・水・火・風・空の五つの要素があるとされ、それはすべての生き物が持っているのだそうだ。ツェワンはときおり目を閉じたりして、数分間沈黙した。集中力を要するのだろう。
診察が終わると、年季の入った道具カバンをずしんと床に置いた。粉末にした生薬を数種類調合すると、ノートを雑にちぎった紙片で包む。そして、この急造の包み紙にイラスト付きの服用方法を描くのだ。すると、わたしを横目で見ながら、「どうだ、いいだろう?」と言わんばかりに、ニヤリと笑った。
以前は診察代をもらっていなかった。その代わり畑仕事を手伝ってもらったりしていたのだ。現在ではお金を受け取ることもあるそうだが、金額は決まっていない。患者が、日本円で二〇〇円ほどを渡そうとしたが、ツェワンは「いや、いらない」とその手を押し返した。だが、患者も「いや、だめだ」と譲らない。そんなやりとりが続く。こうして彼は来る日も来る日も村人に寄り添っている。

ある日、高僧が説法に訪れた。村にとっては大事件だ。寺では四日前から村人総出の準備が行われていた。人々は家からいちばんよいじゅうたんを持ち寄る。お堂や新築の宿泊所に敷き詰めるためだ。高僧が去った後は帰宅を待つじゅうたんの山が残った。「このじゅうだんはどこのうちのだ?」。そんな喧騒のなかにツェワンもいた。
やがて、一段落すると、人々は輪になって話し合いを始めた。なにかだいじなことを決めているようだ。ツェワンは最初遠くからそれを見つめていたが、途中で前のほうに誘われた。話が進むたび、村の代表者が合意を求めるように、ツェワンに目配せする。それにたいして、彼は小さくうなずくのだった。静かだが、凜とした存在感がそこにはあった。
アムチになるには、長い間医学を勉強し、三〇〇以上の薬草のことを熟知しなければならない。知識だけでなく、心を純粋に平和に保たなければならない。アムチは、僧侶と同じように尊敬されているのだ。
「みんなが健康で幸せならば、わたしは幸せです」
そう言うツェワンの手には、陰影を帯びた深いしわが何本も刻まれていた。
その夜、帰宅した彼は台所に立ち、妻の夕食作りを手伝い始めた。
「この村では忙しいときだけ助け合うわけではない。家の小さなことにもみんなすぐに駆けつけてくれるんだ」
夕食のメニューは、スキウというダンゴと野菜を煮こんだ家庭料理だった。

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