Rooted by Meltwater

—清貧の潤い—

狭く険しい岩の渓谷から、徐々に視界が開けていった。そこは砂嵐の大地だった。風が山肌に美しい砂紋を描きあげている。周囲の山々は6,000m級だというが、稜線は低く滑らかで、それほど高くは感じない。立っているこの地の標高が上がったからだろう。
インド最北部に位置するチベット文化圏、ラダック地方。中国と国境を接する東部は平均標高4,500mのチャンタンと呼ばれる高原地帯。その最奥にあるハンレという地区は、2019年4月に外国人の入域が許されたばかりだ。

「ハンレ・ゴンパ」は孤高の僧院だ。
そもそもは17世紀のラダック王国最盛期、王が遠征の拠点として建てた城だった。地理的に孤立しているため、ほかのゴンパ(僧院)とは、あまり行き来がない。
その昔、ハンレには村などなかったため、ハンレ・ゴンパが交易の中継地点になっていた。ゴンパは遊牧民たちが奉納した肉や家畜の毛、この地の塩の塊を、標高の低い地域で作られている麦類や野菜と交換していた。それを人々と共有していた。ときには遊牧民に一か月単位で寝床も提供していたという。ゴンパは人々の信仰における心のよりどころであり、生活の支えでもあったのだ。
いまでも、この地の人々は、親から聞いた昔話を、自分が見てきたことのように語り、ゴンパをたいせつにしている。

シャベルを手に、畑に立つ女性がいた。眉間にしわを寄せながらなにやら携帯電話で話している。「あなた畑に来れるの? 早く来て」。そんな意味の言葉が聞こえてくる。電話の相手は隣人のようだ。
2019年6月、その日は珍しく太陽が照りつけていた。例年ならとっくに雪解け水が小川を通り、村の水路に流れ込んでいるが、今年は暖かくなるのが遅かった。畑が使えるのは雪解け水が利用できる5月から8月の4か月間しかない。待ちに待った晴天の夕方、女性は急いで村人を集めていたわけだ。
現在、ハンレにはいくつかの村がある。人々はゴンパが所有する畑を耕し、収穫物の一部を奉納している。作るのは、大麦とグリーンピースだけ。小規模なので奉納分と自分たちが食べる分くらいしか収穫できない。そのため人々は道路工事や軍隊などで働きながら、種まきや収穫期に村に戻る、という生活を送っている。
しばらくして、畑に数人の女性たちが駆けつけてきた。さんざん気をもんでいた女性の顔は、ようやくほころんだ。そして、みんなで堰止めを始めた。使っているのは石や古着、古カバン。そうやって一日で4世帯が管理する畑に水を入れ、翌日には別の畑に移る。ただ、乾燥した土は水をぐんぐん吸収し、あっという間に乾いてしまう。だから、女性たちは、一度堰き止めたところに何度も足を運ぶ。点検は夜10時まで続くのだ。
冬には農耕も、他の仕事もすべてできなくなる。乾いた大地と短い夏。そのなかで食料やお金をしっかり貯めておかねばならない。生き長らえるためには、助け合うしかないのだ。

チベット仏教の世界では、苦労すればするほど徳が積まれ、生きている間によい行いをすれば来世で幸福になれると信じられている。この地の人々はテレビを見るし、携帯電話も使う。そうやって外の世界にも触れているが、必要以上にものを求めることはない。
村で商いをしているという、ある男と出会った。彼の優しい語り口に促されるように、ふと、村を離れて都会に出ようと思わないのか聞いてみたくなった。しかし、その意味が理解できなかったようで、彼は何度か通訳に質問内容を確認し、静かに答えた。
「都会に行っても仕事がないよ。子どもの頃からずっとここに住んでいて、家も畑もある」
その生涯で、土地を離れるなど、考えたこともなかったのだろう――。

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